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●100
恐い (99/12/13)

絶叫マシンは好きではない。
はっきり言って「恐い」からである。私が恐いと思うのは,何もスピードとかスリルに対してだけ ではない。機械自体が恐いのだ。

機 械を整備しているのは人間。設計製作したのも人間である。電車も飛行機も同じであるが,絶叫マシンとは当然目的が違う。どちらも安全に管理してあるはず だ。しかし,必要以上にアクロバチックな運動をする,この機械から生み出される危うさや恐怖までも人間が管理している。この思い上がりは信用できない。

単 純に信用してしまえば楽しめるのかもしれないが,どうにも疑ってしまう。安全運行に努めている電車や飛行機だっで事故は起きる。本当に整備は万全なのか。 整備士が二日酔いなんかで手抜きしてないか。アルバイトみたいなニーチャンが操作しているが大丈夫か。心配は尽きない。

一 番恐いのは,安全バーの締付けの「遊び」が本当に本来のものか,確かめる暇も手段も無いことだ。自分の席だけ具合が悪いのかも知れない。やけにガタつく。 思い切ってバーを引き上げて外してみようかとも思うが,本当に外れたら声も出ないだろう。そんな時に発車したらどうなるんだ。おいおい今油を指すなよ。や める。やっぱり,乗るの止める。なんて言ったら見っとも無い。

内心かなりジタバタしてる間に,棺桶如きコースターは発車する。

数分後,何食わぬ顔をして降り立つが,足にきている。たのむ今話しかけるな。 

恐怖感が薄れはじめる頃,もしかしてあの「遊び」も管理された恐怖演出の一部ではないかと思うと,腹が立つ。 

だから絶叫マシンは嫌いだ。 

なんだかんだ言って,ただ「恐い」のである。 

●99
似顔絵 (99/12/09)

日本ではTVによる裁判の公開はされていない。
そのため,法廷内の様子は「絵」によって伝えられている。

実際に誰が書いているのか知らないが,きっとそれなりの人が書いているに違いない。
しかし,絵は人間が書くものであるからして,作者の意図が出てしまうことはないのか。静止した 人物を書いているのではないので,書き手の捉え方によって絵の雰囲気は随分変わってくるのではないだろうか。

そ れが,作者個人にも社会的にも影響度が大きいものであったなら,尚のことである。陰惨な事件の被告を善人の如く描くわけにもいかない。只単に写実的に描い たしても,視聴者を説得する力を持たない。なぜなら既にマスコミによって,ある一定の方向にイメージを植え付けられていおり,彼らはそれを待っているから である。

そうは思ってみたが,今日判決が出た「槙原敬之」の似顔絵には思わず笑った。そのまんま 槙原なのだ。いや,似顔絵だからデフォルメしているので,本物以上に槙原なのだ。

この件からすると公平無私な意志があることは分かるが,あんな面白い絵を書いてはいけな い。そのうえ,過去の歌番組の映像を交えてカットバックで見せてしまう。絵と実像の相乗効果。反則である。

こんなん見せられると,事件の重大さが薄れてしまうではないか。

いったい誰が書いているのだろうか。裁判所側の人間なのか,それとも報道側か。

車団吉じゃないことは確かだが。 
●98

年齢 (99/12/06)

TVを見ていたら『象の時間ねずみの時間』の話をやっていた。
以前に本になっていてベストセラーになっていたのは知っていた。しかし,殆ど本を読まない私は 当然の如くその本も読んだこともない。詳しい内容も知らなかった。

今日の話はこうだ。地球上の全ての哺乳類が一生涯の内に行う心臓の鼓動回数は決まってい て,その回数は約十数億回だそうだ。小さい動物ほど鼓動は早く,大きい動物ほど鼓動は遅い。そのため,身体の大きさ(体重)に比例した寿命を持っていると 考えられている。

これは,その動物それぞれに『時間』の流れ方が違っていることを意味する。ネズミと象で は2000倍の体重比があることからすると,ネズミの時間は象のそれよりも2000倍早いことになるらしいのだ。

当然,これは医学的な『時間』であって,物理的な『時間』ではない。しかし,相対性理論 にもあるように『時間』は絶対ではない。そもそも『時間』という概念は,観測者である人間にしか判断しようのない,人間のための『ものさし』に過ぎない。

そうするとやはり,人間と他の哺乳類の時間は一様だとは思えないような気がする。

そう思った時に,長年抱えていた違和感が氷解するのが分かった。

例えば『この犬は生まれて13年だが,人間に喩えると私と同じ68歳』などとよく言う が,これは本当は『犬にしてみれば68歳』と言ったほうが正解だし,犬本人にもやさしい言い方だと思う。

人間なんかに喩えなくても68歳なのである。

犬にしてみりゃ,その人間は13歳のハナタレ小僧の中坊でしかない。 

●97
冬の楽園 (99/12/03)

12月になって寒くなった。
寒くなると小さいころは『霜焼け』が出来て痛痒いことがあったが,最近は全くと言って良い程な い。

余程のことが無い限り極寒の中に身を置くことが無くなった所為かもしれない。よくも まぁ,くそ寒い中徒歩なり自転車で通学していたものだと感心する。

で も,最近は違う事で痒い。この時期になると,ある虫の活動が再び活発になる。通常,生き物は寒くなると活動が鈍くなるものであるが,この虫とインフルエン ザウイルスは例外である。厳密に言えば,エアコンが冷房から暖房に切り替わる端境期から以降に,むくむくと頭をもたげはじめるのだ。

その名は水虫。普通は夏場に痒くなるものだが,なぜか冬でも痒い。私の場合は寒くなると 手足が火照る体質だからであろう。その上,靴下は厚くなり,暖房で室温は上がる。よって,靴下の中はアカプルコみたいな楽園と化してしまうのだ。

冬の楽園。美しい響きだが,私にとって歓迎できるものではない。

だからと言って寒いのが好きでもないが。

●96
CM (99/11/30)

企業にとって,広告戦略は重要である。
この出来栄え如何でイメージが決まってしまうと言っても過言ではない。
『就職したい企業』のベスト10の内,企業イメージ=CMの良さが功を奏している企業が多いの は至極当然のことだ。

NTTにしろソニーにしろそうだ。スタイリッシュなCMそのものがステータスとなり,入 社志望者を含む一般消費者の自己顕示欲を満たすに十分なイメージを作り上げている。

つい最近で特筆に値するのがアバレルメーカーの『ユニクロ』のCMである。起用する人選 が見事なのだ。山崎まさよし,天本英世(死神博士)など,個性的でいてナチュラルな感じで好感が持てる。

実際,以前はどうしても『安物』的イメージがあったのだが,このCM以降爆発的に売上げ を伸ばしている。当然,品物がそのイメージに追いついてなかったら客はついてこない。この辺も見事にクリアしているからこそ今があるのだろうが。

その点,某ビールメーカーのCMは考えものである。有名俳優を起用してはいる。男性の バージョンはその俳優の上手さもあって好感を持てるが,女性版の方はイタダケナイ。

この女優の「食ったり」「飲んだり」する演技は見るに堪えない。PCや化粧品CMでのイ メージは悪くはないのだが,食う事に関しちゃまるで成っていない。少なくともこのCMでは一向に魅力的でない。だから商品自体の魅力半減してしまう。

しかし,個人差はある。事実,このCMは『CM好感度ベスト10』に選ばれているのだ。

批判を恐れずに言えば,少なくとも私個人としてはチャンネルを変えたい衝動に駆られる。 少なくとも,ここの,あの銘柄のビールだけは飲もうとは思わない。

少なくとも『ナベゾコダイコン』なんて陳腐な言回しじゃ,大根まで嫌いになってしまう気 がする。


●95
ダンボール箱 (99/11/26)

2週間ほど前に社内の改装があった。
一時的な引越しみたいなものなので,自分の机の中身も含めフロアー全体の書類などを一旦他の場所へ移すことになった。

ここで必要なのがダンボール箱。実際作業をやると書類の量は見た目よりずっと多い。あっと言う間にダンボールの山が出来る。ダンボール 箱自体を組み立てるのさえ苦になってくる。勢い,その作り方も雑になり,いい加減な箱が出来る。

また,箱ひとつひとつに分類名を書くのだが,疲れてくるとこれまたいい加減な分類をしてしまう。
ひと箱に収める量もバラバラで,満杯になり膨れ上がった箱のあれば,スカスカの箱もある。
そして仕舞いには無差別に重ねてしまう。

案の定,改装後の整理の際には,どれがどれだか解らなくなってしまった。元に戻す作業が引越しに要した労力以上のものになってしまった のは言うまでもない。

その意味からすると,TVのニュース番組で見る『家宅捜索』の押収品を収めたダンボール箱を運び出す司法警察職員の様子には感心してし まう。

タンボール箱を止めるガムテープはキチンと切って貼ってあり,いい加減に手で破ったりしていない。当然,証拠品だからちゃんと分類され ているだろうし,溢れそうなものなど見当たらない。実に仕事が丁寧である。

きっと,この職員も私達の引越し作業と同じで,ダンボール組立てから運び出しまで役割を決めてやっているに違いない。それなのにこの違 いはなんだ。馴れなんだろうか。

所轄対抗『家宅捜索』なんかやって腕を磨いているのかもしれない。

本当は司法警察職員を装った引越し業者じゃないのか。
それとも,引越し業者を装った司法警察職員なのか。

別に引越し業者を装う必要はない。

●94
危機管理(99/11/22)

少し冷えた夜,小腹が空いたので近くの回転寿司に行った。

歩いて1分と言う近さながら初めて行くこの店は,こっちの方が心配するくらい客がいない。

案 の定,客は私ひとり。寿司には全て透明のプラスチックカバーがかけられている。回転寿司で重要なのは,当然ながら寿司自体もだが客の回転も良くなけりゃい けない。これが悪けりゃネタの新鮮さを維持できない。維持できないと客がこない。絵に描いたような悪循環システムである。

気にはなったが,折角だから喰うことにする。
目ぼしいネタがなかったので,いくつか注文をして食べたが,何の変哲のない極普通の味でしかなかった。

ものの15分も居ただろうか,支払いをそうそうに済ませ店を後にした。小腹を満たすにしては割高であったが,最小限の被害で済んだはず である。

しかし,1時間後に最悪のものとなった。凄まじい腹痛に襲われる。腹が締め上げられ,只ならぬ音が全身を駆け巡る。サバである。

数分起きに繰り返される悪夢。内蔵という内蔵が強力な重力によって,体外に引き摺り出されるような感覚。震え。堪らない。トイレのドア にすがり付く。このままでは全ての中身が流れ出て,私自身が水洗の泡と化してしまうのではと思うほどであった。

晴天の霹靂と思われたこの事故,本当に予測できなかったのだろうか。いやそうではない。数々の状況がそれを物語っている。

それに,運良く自宅であったため事無きを得たものの,これが外出先,渋滞中の車中,通勤電車の中だったら。ひとりの大人として,この事 態に冷静に対処できるのだろうか。考えただけでも恐ろしい。

危機管理の重要さを考えさせられた1日であった。

93
筑紫風 (99/11/19)

『団体規制法案』一部修正案が可決された。
ある特定の団体を対象にしたものらしい。それはそれで確かにやむを得ないことだろうと思う。それに,被害者から見れば『被害者救済法案』を含め,至極当然 のことだろうとも思う。

しかし,先般可決した『通信傍受法案』の時と同じように,これも警察が信用できるかにかかっている。これらの法の行使する際には,それ が妥当かどうかの審査をする機能があるべきだが,どうも有耶無耶な感じがするのだ。

昨今の警察犯罪を見ると,彼らにとってこの2つの法案はまさに鬼に金棒状態で,殆ど何でもありに近く不安を残すものである。

必要以上の権限を与えられた者は,時として傲慢になりその権限を行使したくなるものである。正確な判断のもとに行使されて本来の意味を なすものであり,これを乱用した場合にはとんでもないことになるだろう。

考えるに,どうもこれらの法案は先ず警察を対象にして施行される必要があるんじゃないのか。
そして,信頼の回復を待って厳格に運用されれば問題も少ないような気がする。

痛くても膿を出さなければ,本当に腐ってしまう。
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なんて『多事争論』みたくなってしまった。

でも,私はあんなに達筆ではない。


●92
癒しのカラオケ (99/11/18)

久しぶりに飲んだ。
久しぶりに行った店で飲んだ。

普段はあまり人とは喋らない私なのだが,アルコールが入って盛り上がってくると自分でも驚く位しゃべり倒す。テンションが上がると歌ま で唄ってしまう。

昨今の若者であったなら素面でも唄えるのでろうが,オジサンとしては酔わないと唄えない。

新しい曲なんて唄えない。唄うのはやはり我が若かりし頃の歌。1970年代〜1980年代の曲だ。その店は,佐野元春やTHE MOODSなんて唄っても,盛り上がらない店の客層でもあるにもかからわらず,しこたま唄ってしまう有様。

私の歌と交互に他のオジサンのお客さんの曲もかかる。その選択曲には世代のギャップが有りすぎるのだが,中には小林ルミ子の『瀬戸の花 嫁』をフルコーラス『ルルルゥ』とか『ホニャラララ』なんていい加減な歌詞で誤魔化すオジサンも居たりして微笑ましい。

丁 度この感覚は昔,デーモン小暮が「写るんです」のCMで,山口百恵の『いい日旅立ち』を空覚えでいい加減に『良い日ぃ〜旅ぃ〜立ちぃホニャラホニャホニャ ホニャ』と唄っていたのに似ている。当時のCMの雰囲気を彷彿とさせられ,この世知辛い世の中とは違うほのぼのとした感覚が心地よかった。

久しぶりに飲んで馬鹿騒ぎするのも,たまには良いストレス解消になるかもしれない。

見知らぬオジサンから『癒し』のメッセージを受け取った,秋の夜長であった。


●91
めぐり逢い (99/11/16)

パンツのゴムが『ゆるゆる』である。
あえて,ゆるゆるにしているのではない。かなり履き倒しているからである。
そもそも,2枚1000円位の安物であるからして,減価償却はとっくに完了しているので捨てても良いのだが,つい時期を逸してしまう。

なにも好んで履いている訳でもない。
たまたま,下着入れの最上部に置かれているためにすぎない。履く。脱ぐ。洗濯する。着替える。このサイクルの中でのちょっとしたタイミングの問題だ。

履いたら判るだろと思われるかもしれないが,一度履いたパンツを脱いで別のものに履き替えるなど,そんな細やかな神経を私は持ち合わせ ていない。

そんな私であるからして,時にはとんでもなく『ゆるゆる』のヤツに当たってしまうことがある。晩飯を食った後ではそう違和感がなくて も,朝会社に着いて驚くこともある。これは単に私が朝飯を食わないのと,半分夢うつつで通勤していることに他ならない。

ちょっ と忙しくて社内を動き回っていると,腰のあたりが気持ち悪い。パンツがかなりずり落ちているのだ。間抜けな構図であるが,まさか社内の人間も私が半ケツ状 態になっているとは気づくまい。こんな時はトイレで文字通り『ふんどしを締め直す』のだが,もともと『ゆるゆる』であるので大した変わりもない。ほんの気 持ちばかり,気合を入れたつもりなる。

でもって,終業となり電車で帰る。たまたま座れたりするとすぐに寝てしまう。きっと口なんか『ゆるゆる』でだらしない格好なのだろう。

帰宅して飯を食う。風呂に入る。着替える。今回のはよさそうだ。
あっ,さっきのパンツ捨てるの忘れた。まっ,いいか。

いつか,また,きっと,めぐり逢える。


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