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●110
メール(2000/01/18)

昨日の新聞に「携帯持っててなぜメール?」とあった。
内容は,携帯電話を持っているのに何故文字でメールを送ってしまうのか,何故,肉声で,若しくはじかに会って伝えないのか。と言うものであった。

理由は簡単。その必要がないからである。電話で話すまでも,ましてや会って伝えるに値しない事柄だからである。

しかし,この筆者はこう続ける。「生身の人間がどんどん遠のいていく」「完璧に閉じた世界を作ってしまう」「そんな社会に恐怖を覚え る」。

何故?。PCや携帯から送るメールは人と人とのコミニュケーションにおいて,プラスα的なものではないのか。そう考えられないのか。 メールというツールが無ければ,電話や会って話すまでもない事柄は埋没する。

逆に言えばどんな些細な事でも伝えられる。これはむしろ人の間を近くするものだ。そこに生身を感じることの出来ないのは想像力の問題な のかもしれない。

それに,必ずしも誰もが完璧に開かれた世界に生きている訳ではない。その無意識のある種閉ざされた世界を拡張するものとしてメールを使 えば,何も恐怖を覚えることもないハズである。

とかなんとか言っているが,新聞の投稿への反論をここに書いてもしょうがない。結局,世界が違うのだろう。

こんな人間とそんな人間を繋ぐためにも,メールは便利なものである。

●109
筆者の素性(2000/01/15)

なにを隠そう,私はメキシコ人である。
身長195cm,体重120kg,タコスが好物で,テンガロンハットとポンチョは手放せない。
信じてもらえないかもしれないが,本当である。名前はロドリゲスという。職業はマリアッチ。

実は今までのコラムは私の想像の産物でしかない。そして,このHPさえプエルトヴァジャルタのサーバに置いてあるのだ。

なぜ,急に本性を暴露する気になったか。それは,ある人とのメール交換が原因である。

メールを交わす回数が増えて行くにつれ,その文面とこのコラムの内容などから私の氏名,住所,電話番号,勤め先までバレてしまったの だ。無論,ネット上の犯罪の恐ろしさは知っているつもりだし,そんな自分の情報を見ず知らずの人間に教えるほどバカではない。

常々,ネット犯罪に巻き込まれた場合は本人にも落ち度があるなどと,鼻で笑っていたんだが。そのため,慎重に言葉を選んでいたのに。な のに,いとも簡単にバレてしまうとは。

ただし,バレたのは私のダミーの情報である。実在する日本人を語っていたので,私への害は及ばないものと思うが,ダミーにもしものこと があったら申し訳ないと思い暴露したと言う訳だ。

と,言う訳でインターネット(i-mode含む)利用者の方々は,簡単に素性を明かさぬよう十分気をつけることである。また,気を付け ていても知らない内に情報が漏れるリスクがあることも肝に銘じておくことだ。

信ぢてもらえないかもしれないが,本当わたし中国人アルヨ。

上海雑技団所属。

●108

ペプシマン (2000/01/10)

久しぶりに映画に行った。

ここでも何度か「映画を観る」について書いているが,今度はキチンと映画を楽しみたいも のだ。

映画は「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」。話題作ではあるものの,超低予算のマイナー 映画である。

きっと,観客は多くないハズだ。とは思いながら,20分位前に劇場に到着。チケットを買 う。駐車券も忘れてない。順調な滑り出しである。

ところが,チケットを手に3番スクリーンに向かうと,既に入場開放しているではないか。 まさか。入ってみたら,その,まさかである。

そこには,ほぼ満員の観客。参ったな。その上,殆どがアベック。多分,この観客数を2で 割れば答えは150だかと余り1。悲しいかな,その1は当然ながら私であるはずだ。

気を取り直して席を探す。アベックとアベックの間に席が残っている。仕方ない。まるで, 邪魔者の扱い。そんな視線を無視して開き直り座ることにする。

見渡す限りのアベック。右も左もアベック。まさにラブラブサンド状態。妙な孤独感。おま けに両サイドには女性。更に二人とも,超ミニである。目のやり場に困る。息苦しいまでの閉塞感。

場内が暗くなり,少し救われた気分。予告編が始まる。今回は全席にもデカイ奴は座ってな いし,大丈夫そうだ。と思った瞬間,事件は起きた。

左 隣のミニのおねーさんの連れ,野郎の方がびしょ濡れになっているではないか。どうやら,他の客がジュースをぶちまけたらしい。暗くなた場内で足をとられ, 弾みで持っていた4人分のドリンクカップが野郎の頭を直撃。全身ペプシ漬け。更にはポップコーンまでもが,点々と張り付いている。雪の中の地蔵さんみたい である。

当然周囲は大騒ぎ。野郎が悪態をつき,被疑者を罵倒。そして,争いは場外に縺れ込む。そ こで何があったかは知る由も無いが,本編が始まるころには店員を連れて戻ってきた。

どうやら,この状態でも映画鑑賞を続行するらしい。あの量じゃパンツまで濡れているのは 必至。大した根性である。

しかし,乾いたペプシはベタつくらしく気持ち悪そうだ。もぞもぞ姿勢を変えている。パン ツの中は大変なことになっているだろう。もう既に奴の姿勢制御機能は,身体中に纏わり着いているペプシによって支配されている。

ペプシマンが姿勢を変える度,映画に集中出来ずに過ごした90分。別の意味で楽しませて 貰った。

映画終了後,ペプシマンが『なんじゃ,この映画つまんねー』なんて感想を述べていたが, それより早く帰って頭洗った方がいいんじゃないのか。

冬だから良いものの,夏だったら昆虫が寄ってきて大変だったに違いない。

●107

写真集 (2000/01/06)

少し前モデルをした。
モデルと言ってもファッションモデルではない。ダイエーの広告モデルでもない。当然,ヘアー ヌードのモデルでもない。会社のPR用パンフレットのモデルである。

以 前のパンフレットが古くなってため『新しく作り直せ』との上長からの命令。記載文書の作成からページ構成,レイアウト,色構成までやって印刷業者と打合わ せを行った訳だが,肝心のモデルがいない。見渡す限り目上の人間しか居ない部署。時間もないし,もう自分がやるしかない。

結局,後輩を一人モデルとして強制連行したが,製作総指揮,脚本,監督,主演,兼小間使 いの大車輪の忙しさは変わらない。

主 演モデルと言っても,ただ笑顔で突っ立ってる訳じゃない。業務で使用する機材の設営を自分でして,その傍らでそれなりにポーズをとらなければならない。ま た,この機材が重い。数種類の機材と一緒に写真に収まる構成のため,カット毎に機材を準備し設営しなければならない。枚数にして4〜5枚のカット撮影だが ヘトヘトになる。

その 上,私の姿勢が悪いらしくカメラマンから細かい指示が飛ぶ。『肩が下がっている』『背筋を伸ばして』『膝を少し曲げて』『左足を前に』『右手を添えて』 『顎引いて』『そのままじっとして』。私にとって不自然極まりない姿勢。足が攣りそうだ。早くシャッター切れ。もう限界だ。カッシャ。ふぅ。『ハイ次,本 番』って勘弁してくれ。

まったく,モデルを職業にしてる人は大変だ。スーパーモデルへの道のりが厳しいのは想像 に固くない。

そんなこんなで仕上がったパンフレット。私の写真集みたいになってしまった。

昨日から全九州の事業所で配られている。恥ずかしい。しかし,これで契約のひとつでも取 れたら報われるってもんだ。

ちなみに一般の書店での発売予定はない。

●106

ラマダン (2000/01/03)

断食している。
と,云っても前日の晩飯以降まだ30時間しか経っていないが,一応飲まず食わずで過ごしている。 

別に意味があって断食している訳ではない。日頃から,いつか丸一日くらいやってみようかと思っていただけである。 

普 段,朝飯は食わない。しかし,この連休中は実家に居ることもあり,何やら,然程腹も減っていないのに朝,昼,晩,養鶏場の鳥みたいに時間が来れば食ってい る。そのうえ正月だから絶えず食べ物がある。御節,餅,雑煮,酒。何もする事がないので,食ってばかりである。本当にこれでいいのだろうか。 

TVでは例年の如くバカな番組の目白押し。大食いやら早食いやら一体何の意味があるのか。この光景は悪趣味で酷く動物的なもので,見る 気にさえならない。 

何が超豪華な大食い選手権だ。フカヒレ,フグ刺し,キャビアにトリフ。伊勢海老,ステーキ,トロ,ウニ,イクラ。ふざけるな。そんなに 泣きそうになってまで無理して食うな。世界中にはひと欠片のパンさえも分け合っている人達が居るってのに。 

うぅっ,見る気になれないと云って,終わりまで見てしまった。腹が鳴る。情けない。揺らぎ始める信念。カマボコの一切れくらい。駄目 だ。何だこのニオイは。晩御飯はカレーらしい。御節に飽きたらカレーか。なんてタイムリーな,いや,なんて下世話な欲望だ。 

こ の場に来てのカレーという逆境。意地でも食わない。このハングリーな感覚が人の神経を研ぎ澄ませるのだ。逆境の中でも信念を曲げるな。負けるな。そして, 朝がくればそこにはきっと何かが待っている。それはストイックなまでに昇華した高尚な精神。それは,朝靄漂う湖面のように一片の水紋なく穏やかであるハズ だ。 

あと,数時間。心に決めたラマダンが終わる。

そしたら,おもむろに食卓に着き,この世の万物に感謝しながら箸を取る。合掌。 

そして,そして無茶苦茶ごはん食ってやる。だれが何と云おうと食ってる。だって,お腹が空いてるんだもん。 

だからカレーを残して置いておくれ。オネガイだから。

●105
The New Year (2000/01/01)

新しい千年紀の始まりである。 
西暦2000年。今始まったばかりのこの年だが,どこか懐かしい気がするのは不思議だ。世紀末を超えたところにそれはある。これは多分,私達が生まれ育っ た年代にとって,それは輝かしい「未来」であって,憧れであったためであろう。 

懐かしい未来。それは流線形の車であったり,超高層ビル,人型ロボットであったり,ヒーローが活躍する世界であったりした。

しかし,世紀末に近づくにつれ,いつの世も不安定になって行く。必ずしも楽観的でない未来。今の少年達に希望はあるのか。夢や憧れの対 象があるのか。何が起きても不思議じゃない。 

では,今日から何かが変わるのか。何も変わらない。年を跨いだだけで,全てが変わるほど無邪気な世の中ではない。 

しかし,逆に言えばいつだって変えられるのかもしれない。新しい時代を生き築くのは,他ならぬ人間であり,それには何かの「タイミン グ」が必要なだけなのかも。 

懸命に働いている人,遊んでいる人,リストラされた人,戦っている人,泣いている人,迫害を受けている人,立ち上がろうとしている人。  

今,世界中の人々に公平に与えられているのは『時間』だけなのかもしれない。 

誰の上にも今日と言う日は確実にやって来ている。2000年。こいつがその「タイミング」になったらいい。 

『A Happy New Year!』『The same to you!』誰もがそう言い合えるように。 

そして今日,次なる巨大なタイミング,『新世紀』への新たなるカウントダウンが始まる。
●104
ニュース (99/12/30)

もう今年も終わろうとしている。 
新聞やテレビでは今年の10大ニュースを報道している。 

国内では東海村の臨界事故や警察不祥事,海外ではNATOのユーゴ空爆,トルコ・台湾大震災などが上位に並んでいて,暗い一年だったよ うな気がする。 

中には,今年起きた事件だったのかと思わせるものもあったり,過去の10大ニュースとの比較ではあの事件がもう数年前のことだったりし て,時の流れを感じずにはいられなかった。 

一 方個人的に今年の10大ニュースを考えてみると,これが全く思い付かない。気づけば1年が過ぎており,結局何もしていないような気がする。それなりに仕事 もしているし,楽しいことや悔しいこと色々あったのだが,今となっては日々の生活の中に埋没して,取りたてて目立つものではなくなっている。 

この「こらむ茶」を読み返したら今年の自分が見えるのかもしれない。そう思って読んだものの,これまた何もない。ある程度定期的(かな りアバウトだが)に書き始めたのが5月から。約90話書いているがクダラナイ。 

そもそも生活を記録する日記じゃなくて,あくまでもコラムなんだ。と開き直ってみるが,それでもニュースになるようなものは何もない。  

もっとも,日記だったら,それこそ5話も書けていないだろう。それじゃ10大ニュースの選びようがない。情けない程の平凡な日常であ る。 

しかし,8月に洒落で始めたi-mode対応以降大きな反響があり,いろんな人と出会うことができた。これは私にとって,大変喜ばしく 励みになる【事件】だった。 

そんな意味からすると,この「こらむ茶」自体が今年最大のニュースなのかもしれない。 

103
不健康ランド (99/12/28)

最近,休日に暇を持て余して「健康ランド」に行った。 
「健康ランド」とは手軽な料金で,多彩なお風呂を味合うことが出来る施設を指す。 

とは言っても,自宅から数分の本当の温泉街では「健康ランド」の数分の一で入浴できる所もあるので,手軽な料金とは言い難いかも知れな い。 

ただ,この温泉は単にお風呂に入るだけなので,時間を潰しリラックスできる施設ではないため,持て余した時間を消化できない。  

か くして,「健康ランド」に赴く訳だが,行ってビックリ,見てビックリなのである。名前は「健康」なのだが,何が健康なのか分からない。天気の良い休日の昼 間ってのは,若い者の姿なんて見えない。本来が若者が好き好んで通う所ではないのだが,殆どがおじいちゃんばかりなのである。 

私以外はおじいちゃん。私が入浴者の平均年齢をグンと下げているに違いない。かなり,ヤバそうな人もいる。入浴したら高血圧でイッてし まうんじゃないかとか,浴槽まで行き着けるんだろうかと思わずにいられない,かなり危険なお年寄りの方々。もう,湯治場状態である。 

一 緒に風呂に入ると,さして若くない私だが,何かエネルギーを吸い取られているみたいな気になる。また,風呂から出て腰掛けているおじいちゃんの一息いれい る姿,真昼の太陽光線で浮かび上がる年老いた身体のシルエット。これは,堪らなく切ない気持ちにさせ,リラックスにしにたんだか,何だか解らなくなり, ちょっとナーバスになる。 

そんなこんなで,十分に身体を暖めたところで,風呂上がりの一杯などを。と,食堂に行くと,何と昼間っから酔ってカラオケを唄っている 御老人の姿がある。いくら唄い放題とは言っても,真っ昼間から,しかも誰も聞いていないと言うのに熱唱している。 

こんな状況は私が行った所だけなのかもしれないが,誠に不健康極まりない。 

湯治場と化した昼間の孤独な宴会場。これが,健康だと言えるのか。 

温泉と言えば,卓球だろう。浴衣振り乱してラリーを繰り広げる御老人が居てもいいではないか。 

「健康ランド」に来てリラックスどころか,来年四月からスタートする介護保険制度について再度考えさせられた一日になってしまった。  

風呂上がりに腰に手を当て牛乳を一気飲みする。そんな気には到底なれなかったのである。 


102
クリスマス (99/12/24)

世間はクリスマス一色である。 
私にとっては,ただの金曜日でしかないのだが,どこもかしこも賑わっていて落着かない。 

特にクリスマスが嫌いなわけじゃない。年間に何回かある大イベントの類が好きではないのだ。 
どれもこれも,企業の販売戦略にまんまと乗せられている気がして,どうも冷めてしまう。 

ク リスマスといえばサンタクロース。赤と白のお決まりのユニホーム。これさえもコカコーラ社がコマーシャル用として考えたものであり,その配色はこの会社の 製品と同じである。なんでも,本来のサンタの衣装を少しアレンジしただけらしいのだが,コカコーラ社が完全に定着させてしまったのだという。 

サンタにしてもそうであるから,本来の意味なんてどうでも良くなってきて,イベントとしてのクリスマスだけが一人歩きしているみたい だ。そんなんだから,プレゼントも買わなきゃならないし,ケーキだって食わなきゃならないのだ。何がイブだ。 

イチゴだってこの時期は値が上がる。本来は夏の果物であるはずなのに,無理矢理この寒い冬に向けて作られている。イチゴも迷惑してるに 違いない。 

最近は鳥も食わなきゃならない雰囲気になりつつある。フライドチキンやローストチキン。きっとこの時期,大量の鳥が犠牲になっているだ ろうと思うと胸が痛い。 

コー ラ飲んで,イチゴのケーキ食って,鳥食って。次は何だ。トナカイでも食うか。そうこうしてる内に,一転して年越しの蕎麦食って,お節食って,餅食って,飽 きたらカレー食って,暫くしたらチョコ食って,その後にマシュマロ食ってって,食ってばかりじゃねーか。全くいいように躍らされてる。好い加減目を覚ませ よ。 

只でさえ慌ただしい師走。クリスマスは止めにしないか。少なくとも時期をずらせないか。 

年末の混んだ中,注文しておいたケーキを取り行くのは大変だから。 


101
パチンコ (99/12/21)

パチンコは「禅」である。 
知っている人は知っていると思うが,パチンコ屋と言うものは十数台のパチンコ台が横一列に並んでいる。大体の店において,その並びが十数列程ある。  

店内に入り好みの台に座る。皆それぞれに座る。玉を購入して打ち始めるのだが,余程の常連じゃ無い限り喋りながら打っている人はいな い。 

玉が無くなったら,すぐさま買う。打つ。デジタルが廻る。普通に入賞してもリターンは少ない。千円なら10分も持たない。ひたすらつぎ 込んで当たりを待つ。 

そう言う意味では「釣り」にも似てなくはないが,ただ座り身じろぎもせず,ただ打ちつつけるその光景は宗教じみている。 

横 一列に並んだ教徒が背中合わせに座っている。その間を店員が通る。もし,パチンコ台があのけたたましい電子音を発っしなければ,あの耳障りは店内アナウン スがなければ,それはもう「座禅」の世界だ。精神的側面から見てもそこに共通するのは「無心」。無の境地に立って邪念を振り払わなけらばならない。欲を出 すと負ける。パチンコは引き際が肝心なのだ。 

一方禅は,座禅を組み煩悩を滅却すれば,ありがたい悟りを得ることができる。しかし,パチンコで悟りを開くには年期がいる。  

パチンコで悟る。それは,勝って気を引き締め,負けて感謝する。そして,晴れ晴れとした面持ちで店を出る。理不尽な賭け事に,人生を垣 間見て,相対世界の構造を知る。さらには混沌としたこの世界あるいは宇宙との一体感の中に本当の自己を見出す。そんな心境だろうか。 

所詮,勝ち目のない事は誰だって分かっている。これを精神で理解するのは並大抵のことではない。十数年来,この業を行っているが,やは り悟れない私は未熟者である。 

足繁く通う私。多分当面の間は悟りの境地に達することはあるまい。 

あまりの無謀さに,店員から警策(きょうさく:覚醒を促す為にびしッとされること)でも打って貰わないと覚醒しないのかもしれない。  


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