fileNo.74
スート・ヒアアフター
1999.2.14(VIDEO)
監督・脚本:アトム・エゴヤン
原作:ラッセル・バンクス
出演:イアン・ホルム,サラ・ポリー,ブルース・グリーンウッド

カンヌ映画祭でグランプリ受賞だそうです。確かに,カンヌが認めそうな重厚な文芸調の作品ではあります。なんとなく,「ファーゴ」を思い出しました。雪,奇妙な感覚。多分,違うものなんでしょうが。
子供ばかり21人の死者をだした通学バスの事故がきかっけで,小さな町が悲しみに包まれる。そこに,老弁護士がやってくる。彼の目的は集団訴訟である。苦悩する住民。町はどうなるのか。

この町独特の人間関係。誰かが必ず誰かと繋がっている。利害関係は表沙汰にならず,だた底の方で沈殿しているだけ。町は瀕死状態である。そして,住民は降り積もった雪が解けるのを待つがごとく,静かに時が過ぎるのを待っているだけである。これが,町のスイート・ヒアアフター(穏やかな日々のその後)である。

この物語を複雑な構成で見せていく。時間が交錯する。過去,現在,未来。観客には明快な提示はされていない。

イアン・ホルム演じる弁護士は劇中「自分も娘を亡くした。私もあなた達の同じだ」といって集団訴訟の契約を取り付けてまわる。交錯する物語の中で,弁護士と娘の関係が次第に分かって行くが,これは遠い過去の話のようにも見え,現実には既に娘は死んでいるのではないかと思わせる。それを,救えなかった自分とこの町に漂う喪失感を重ね合わせて,姿なき相手への戦いを誓わせるのだろう。しかし,そこで勝ち得るものは何なのか。弁護士が言う”未来”なのか。

結局,事故で生き残った少女により集団訴訟という事態は回避され,町は表向き平穏さを取戻すのだが,この少女の行動は謎である。「嘘」の意味は何なのか。近親相姦関係にある父に対するこの裏切り行為は,何を意味するのか。本当に少女は町を救うといった考えがあったのか。彼女にとってのスイート・ヒアアフターとは。下世話な見方だが,父親じゃない誰かを守るためなんじゃないのか。ラストで車のヘッドライトに浮かび上がる窓辺に立つ彼女が印象的。

あまりにも,淡々と描かれる人間模様であるために,うっすらと霧がかかったようで明快な答えが導きだせない作品であったが,色々な見方が出来る感慨深いものであるのは間違いない。

shima-s@fka.att.ne.jp


 


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送