file No.32      
HANA−BI
1998.2.1
監督、脚本、編集:北野  武
製作:森  昌行
音楽:久石  譲
挿入画:北野  武
出演:ビートたけし,岸本加世子,大杉  漣,寺島  進

なんとも表現し辛い作品です。過去の北野作品は大変気に入っていますが、今回は辛いです。第54回ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞しました。遅かれ早かれ「大きな賞」を獲るだろうと思っていましたが、こんなに早いとは。また、今回のこの作品で受賞するとは。 

この作品は過去の北野作品とは明らかに違います。あいかわらずの「北野節」がそこにはありますが、何かが違います。極端にセリフを廃した脚本、徹底的に説明的描写を廃した演出。どれも素晴らしいのですが、何か「理屈っぽく」なった印象がしてなりません。 

それは北野武監督の成長とは無縁ではありません。第一作目の「その男、凶暴につき」では野沢尚の脚本を解体し、研ぎ澄まされた強靭な作品に仕上げた。「3−4X10月」では脚本も手がけ、「あの夏いちばん静かな海」では物語を最小限まで削ぎ落とし、独特の編集センスで「映画」そのものを解体した。また、これらの集大成的に意識して製作されたと思われる「ソナチネ」では、今回と同様に監督、主演、編集、脚本を手がけた。 

ひょんなことから監督になってしまった一作目から、「映画」を解体し再構築する作業をやってきているわけですが、それが意識的とも偶発的とも感じられる言わば「慣れない自主製作映画」的な雰囲気がありました。あるいは、全く逆でそのことを否定しざるを得ない「リアル」さがありました。 

また、強烈な「暴力描写」(描かれる暴力は理解をこえるような残虐的なものではなく、演出によって倍増されたもの)で、今までに無い「俺はこんな映画を見たい」と云う作品を強硬に作り上げ、自らも「映画」と心中するような気迫が感じられました。それを裏付ける「死」への憧れとも云うべき「自殺願望」(ソナチネでは実質2回も自殺している)的なアブナイ緊張感が充満していました。 

実際、映画の中において「ビートたけし」は(あるいは主人公)必ず死んでいるのです。(その後「バイク事故」で北野武自信瀕死の重傷を負うが、その当時本当は「自殺」ではないのかと思ったほど) 

そんな4部作(個人的にはそうだろうと思っている)の中で確実に映像作家として「成長」したことが、北野作品を「娯楽」から「芸術」へと昇華させていったのだと思います。それは、北野監督への評価と「北野映画」の確立に見ることが出来ます。

前作「Kids Return」あたりから、今までの作品とは対局的な位置にあった「生」あるいは「再生」を描き出しています。それは、自分自身の体験と無縁ではないでしょう。 

ここでは、あえて自分自身登場せず監督に徹しています。石橋凌扮するヤクザを「ビートたけし」に置き換えればいいのですが、それではあまりにも「生々しい」印象を与えかねません。ここで描かれるのは、二人の若者を取り巻く「光」と「影」、「生」と「死」。暴力の怖さより「積極的に生きる」ことを止め流される恐ろしさや、「暴力」の裏返しでもある「弱さ」を丹念に描き出しています。 

「その男、狂暴につき」を見た時以来の衝撃を受けました。作品のバランスや人物描写から見ても、過去の作品より完成度は遥かに高く「最高傑作」だと言っても過言では無いと思います。 

この「Kids Return」で賞を取るべきでした。 

そして今回、「ソナチネ」以来4年ぶりに監督、主演、編集、脚本で挑んだこの作品、確かに傑作だと思います。が、「ソナチネ」の時に感じたチグハグ感、浮遊感がそこに感じられます。同じ事をやったのです。今までの集大成なのです。 

過去の自作を複雑な構成の中に折り込みながら見事に消化しています。そこには、北野監督の「成長」があります。 

また、自分自身と対峙し冷静に見つめ直しています。「成長」のなせる業ですが、このことが返って「理屈」ぽく感じさせるのでしょう。作品自体と云うよりも、その裏側に感じ取れることです。 

この作品に関しては、いい、わるいと云った問題ではなく別の次元の話なのです。 

なぜなら、これは「北野武」そのものを映し出していると思うからなのです。 
 

shima-s@fka.att.ne.jp
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