file No.43
「リトル・オデッサ」
1998.3.30
監督・脚本:ジェームズ・グレー 
出演:ティム・ロス,エドワード・ファーロング,モイラ・ケリー,バネッサ・レッドグレーブ 

かなり重苦しい映画です。逃げ場が無いと云うか。ひたすらセリフや余分な演技を削いだ演出は素晴らしい。なんと、監督のジェームズ・グレイは、この映画の撮影時若干24歳だったそうです。

冒頭いきなり、ティム・ロス演じる殺し屋が、ベンチに佇む男を容赦無く射殺する。その後、事の次第を「電話」で報告する。それも、ごく簡潔に。そして、「次の仕事」の依頼。タイトルバック。作品全体が集約されるこの導入部は見事だ。 

ロシア系ユダヤ人、重病の母、一日中椅子に腰掛けている祖母、寡黙な父、孤独な少年、家族から忌み嫌われる兄。そして、冬の街リトル・オデッサ。

観客は「人」の体温や感情の動きなどを注意深く探し始めるが、感情の高ぶりが絶えず抑えられている結果、この映画における「人」の体温は感じられない。(唯一、吐く息の白さで「体温」を感じることができるのだが、それはこの映画自体の「体温」をより一層低下させる役割を持っている。)登場人物に感情を移入させようとする力が働くが、彼らは容赦なく「死」を迎える。その死にざまはドライである。 

「人」が死に、ある種「物」になった瞬間を見せ付けられるのだ。その過程はない。「体温零度」と「物」は同一線上に並べられ、「死」からは逃れられない。 

「穴の空いたシーツ」でオフされた「物」化した少年を見る兄。その姿を見たとき、観客の体温もまた「零度」となる。 

そして、全てが終わり観客はこの映画がもつ荒涼とした世界から、暫くのあいだ逃れることは出来ない。
 

shima-s@fka.att.ne.jp
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