file No08
弾丸ランナー
1997.10.6           
監督、脚本:サブ
出演:田口トモロヲ,DIAMOND★YUKAI,堤  真一

走る映画である。だだ走る。三人の男がだだ走る。        
悲喜劇であろうこの作品、石井聡互監督の「シャッフル」(たしか16mm)を彷彿とさせるが如何せんパワーが全然違う。(特に疾走しながら女のことを考えるシーンはパクリである。)            
走ることに当初の目的とは別の意味を感じ始める展開は見えみえである。
言いたい事も、やりたかった事も分かる。がしかし、あの結末は何ナノか。懸命に走ってきた意味が吹き飛ばされてしまう。

走ることでスピード感は出ているのだが、そこに挿入されるエピソードが陳腐なので止まっては走る的な感じがする。

コンビニでの「強盗」と「薬中」との発砲までのからみ、「薬中」と「ヤクザ」との衝突までのからみなどは実質的には2回描かれているが、「強盗」主観で描くのはコンビニを見つけるまでにして後は「薬中」の主観で描くべきだし、「薬中」達が商店街に入った時点で「ヤクザ」の主観に切り替えるべきである。
        
回想シーンは時間的後退を生む。回想シーンから戻った時には本線の時間経過が必要である。戻った本線のシーンに回想シーンで費やされた映画的時間と同等の時間経過があるか、またはそれを示唆するシーンに戻らないと物語りが停滞してしまう。それが、明確に表現されていない場合、観る側との間に時間的感覚のずれが生じる。 
      
「レザボア ドックス」や「パルプ フィクション」はそこの編集が秀逸である。
タランティーノの真似をしても無駄である。手法のアイデアは真似できたとしても、はさみの入れ方、つなぎ方には雲泥の差がある。
       
笑うに笑えず、手に汗をかくでもない。爽快感もなく、疲労だけが残る。観る側も全力で走りきれなっかたためである。牽引する力がないからどちらも全力にならない。いっそのこと観る側を置いてきぼりにしてしまうくらい切れていたら、少しは救いもあったのではないだろうが

全く救いが無いわけではない。DIAMOND YUKAIの熱演。彼だけが全力であったような気がする。        
      

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