file No10
パリ空港の人々
1997.10.21
監督&脚本:フィリップ・リオレ  
脚本:ミッシェル・ガンズ  
出演:ジャン・ロシュフォール,ティッキー・オルガド,マリサ・パレデス

不思議な作品である。非常に地味な題材であるが、不思議なおもしろさがある。題名通り「パリ空港」の人々の話であるが、普通一般の人々の話ではない。 
  
普通でない人々が、普通でない状態で、普通でない環境に置かれ、普通の生活を送っている。長年に渡ってトランジット状態が続いている、あえて続けている。あるいは、続けざるを得ない人々が登場する。 
  
この「普通でない状態」が本当にありえるのか、外国にろくに行ったことがない私にとって不思議に思えたが、話によればこの作品には実際のモデルがいるらしい。確かに、国外追放になり行き先の国が入国拒否をした場合などは、まさにそうなるのである。

作品の中身であるが、脚本が実に良い。そしてやはり、脚本を書いた人がメガホンをとるメリットが感じられる典型的例である。
  
なにしろ、オープニングの入国審査は絶妙である。まず、写し出されるのは足元である。靴を履いていない。「何だ?」と思わせる。それから、主人公と入国管理官とのからみが始まるのだが、軽妙なやり取りがまじめに行われる。ここで交わされる会話は「シナリオのテキスト」になるくらい面白い。それを、ほぼ二人交互のショットだけで見せる。「そこの長椅子で待て」

この作品のキーワードは「自己の証明」「何が自由か」である。
  
パスポートを盗まれた主人公は当然「自己を証明」ができないし、国を追われた女はどこの国にも属さないので「自己を証明」できない。また、言葉が通じない男もそうである。しかし、この映画で表現されているのは「証明することの難しさ」ではなく、「その必要があるのか」の問いである。しかし、現実的には辛い。女が言う「故郷の空なら星が見えるのに」

「何が自由か」
トランジットという制約された状況にある男と、本来「自由」であるその妻との対比がおもしろい。男がみんなで食卓を囲んでいる時、妻は異常に狭いホテルの部屋でまずそうなコーヒー(自動販売機の)を飲んでいる。ラストに至っては、立場が逆転し妻が管理官から言われる。「そこの長椅子で待て」

フランス映画は苦手(食わず嫌い)であったが、面白いものはおもしろいのである。
 

shima-s@fka.att.ne.jp
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