file No66
「プライベート・ライアン」
1998.11.7
監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:ロバート・ロダット
撮影:ヤヌス・カミンスキー
出演:トム・ハンクス,トム・サイズモア,エドワード・バーンズ,バリー・ペッパー
アダム・ゴールドバーグ,ヴィン・ディーゼル,マット・デイモン

「気持ち悪い」とか「やりすぎ」「スゴイ」とか周囲の知人が言うので,見てみました。今回はスピルバーグの「プライベート・ライアン」です。

第二次世界大戦の最前線(ヨーロッパ戦線)において,3人の兄弟を戦場で亡くした末弟の「ライアン二等兵」を探し出し無事帰国させるという任務を帯びたジョン・ミラー大尉率いる小隊をとおして,戦場における命の価値の問題を問い掛ける・・と言うお話です。

オープニングはノルマンジー上陸作戦のようです。凄まじい映像が見る者に衝撃を与えます。飛び交う弾丸,容赦無く撃ち抜かれる兵士達。壊れた人形のように次々と倒れていきます。セリフもBGMもありません。乾いた銃声と,銃弾が肉を貫く不快な音だけが,劇場を襲います。そして,その映像の殆どが兵士の目線アングルで撮影され,手持ちカメラの効果と相俟って緊張感が増幅されます。これは,ロバート・キャパの写真が映像になったみたいで,壮絶です。

確かに凄い。この後は,「ライアン二等兵救出」任務のための小隊が結成され,消息を辿って行くことで物語りが展開して行く。その過程においても,戦闘が繰り広げられるが,その場面場面毎に観客は凄まじい光景を見せつけられることになるのだ。

顔を吹き飛ばされる。臓物が流れ出す。下半身が無くなる。爆死する。まさに地獄絵そのもの。
しかし,だからどうしたんだ。確かにスピルバーグはリアルに戦場を再現しては見せた。その迫力ある映像は,観客を疑似体験をさせ得るレベルのものだと思うが,それきっりで後が無い。痛みや恐怖は十分である。(銃弾が人体を貫く描写における”痛み”の感覚は「シンドラーのリスト」でも散々やっている)

何を表現したかったのか,何を伝えようとしているのか解らない。提示はされているようであるが,観客に同意を求めているのか,何かを導きださせようとしているのか,なんか中途半端なんです。「見りゃ解るだろ」ってな感じ。

それなのに,肝心なところはセリフにしちゃう。結局のところ,登場人物の描写に深みが無く,彼らに”戦争”そのものへの矛盾や葛藤がない(任務への葛藤はあっても)ため,曖昧なのだ。

下手すりゃ,全然逆の印象を持って観られても仕方ない状態なのである。トム・ハンクス演じるジョン・ミラー大尉が涙をこらえる場面にはジーンとくるものがあるが,設定どおり教師らしく,”歴戦の兵”を率いている。こいつらが,カッコよくも見えてしまう。

言わば「戦争肯定」的な印象も受ける。それも,歴戦の兵7人+戦闘経験が無い通訳1人という,「七人の侍」のような設定とキャラクター配置にある。せっかく,”通訳”と言う一歩戦争を引いて見られる人物がいながら,なぜその人物の目線で描かなかったのか。その人物にもラストには裏切りへの怒りだけで”殺し”をさせてしまう有り様。そこに,矛盾は感じられない。

最後には年老いたライアンが,ジョン・ミラー大尉への思い入れたっぷりに,泣いて敬礼までしちゃう。なんか,ヤバイよね。

なんか,「一人はみんなのために,みんなは一人のために」なんて自衛隊の隊員募集コピーみたく,民主主義の理念を履き違えたような,変な危うい印象がどうしても残ってしまうんだな。

少なくとも,最後の戦闘シーンへの繋がりは,ライアンが言うように「任務のために皆と残って戦います」なんてもんじゃなくして,どうしても戦闘シーンが撮りたかったら,”巻き込まれた”みたいな流れの方が良かったんじゃないのかな。
 

shima-s@fka.att.ne.jp
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