戦国自衛隊1549
2005.7.8(映画館)                     

1594先般、戦国自衛隊1549を観た。

1979年の「戦国自衛隊」は中々の傑作だった。前回の原作は半村良。今回は福井晴敏だ。

始まって5分でダメだと思った。と云うか観る前から予想はしていたが、案の定ダメだったというのが正しい。まず、キャスティング。

主演の江口洋介は何やってもそこいらのアンチャンでしかないし、何やらせても同じ演技。劇中でもいつ白衣を着込むのかなと思ったほどだ。とても精鋭の自衛 官に見えない。それこそ居酒屋の店長がお似合いだ。

鈴木京香もそれらしくないし、その他脇を固める俳優人至ってはあまりにもスケールがなさすぎる。2時間ドラマ見ているような錯覚さえしてしまう。

嶋大輔が演じる自衛官も重要な役所であるが、なんともまぁ物足りない。最後に残って戦う隊員達も無名俳優ばかり。さすがの北村一輝を持ってしても、このあ たりのチープさを埋めることはできなかった。

そして何よりもダメなのは映画としての葛藤が描かれていないことだ。葛藤が無いと言うことは、物語がその方向へ進行して行く理由が明確でないってことにも 繋がる。

物語自体に葛藤が一切無い。折角、時間設定したのに時間との葛藤もない。人を殺すことに関しても葛藤がない。この手の映画のお決まりで楽しみでもある"異 文化"に対する畏れ、理解に至る葛藤すらない。登場人物も誰一人自分の置かれた状況にさえも葛藤していない。

監督の力量もさることながら、脚本がダメだったのだろう。読んでないが、ひょっとすると原作から胡散臭いのかも知れない。

今流行の原作者らしく、この人の作品は続々と映画化されているが、肝心な部分で似非ハリウッド的な胡散臭いB級モノが共通して登場する。
「ローレライ」では超能力少女。「亡国のイージス」では超強力特殊兵器。今回も磁場発生装置やらMHD電池など。

このお馬鹿なB級的ギミックを含め、周辺要素などを如何にリアルに描くか。大ボラを信じ込ませるには細かいところのディテールにこだわる必要がある。そし て、大胆に展開させる。繊細かつ大胆でないといけないのだ。

そんな理屈を吹っ飛ばすような派手なアクションやCGで押しきる程金も掛かっていない。それならこの辺りをキチンとすべきだ。客をなめるな。

戦国時代へトリップする「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」にも及ばない。

ましてや前作と比較するのも馬鹿馬鹿しいので、もう書くのをやめる。
 


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