file No05アンダーグラウンド
1997.9.27     
監督:エミール・クストリッツァ 
音楽:ゴラン・ブレゴヴィチ 
美術:ミリェン・クリャコヴィチ 
出演:ミキ・マノイロヴィチ,ミリャナ・ヤコヴィチ,ラザル・リストフスキー     

大な映画である。旧ユーゴスラビアが戦争に翻弄されつづける50年間を描いたこの作品の監督はユーゴの出身である。    
当事者の視点で描かれるユーゴの物語は悲惨さばかりではない。実に愉快である。「悲劇」と「喜劇」は紙一重であるが、まさにその一重感覚が縦横無尽に展開する。     

観る者はけたたましい音楽を引き連れて主人公が登場する冒頭のシーンから、クストリッツァ監督の「ユーゴ」に迷い込む。     

次に「動物園」。そこには飼育係である吃音の青年がいる。青年が餌を与えでまわる途中、次第に動物達が落ち着きをなくし暴れ始める。遠くの方で鈍い音がする。その音が爆音だと気づいた時には、空には爆撃機が飛びまわり「動物園」は一気に火の海となる。たくさんの動物が死ぬ。衝撃的なオープニング。街が戦火に包まれる中、主人公達は平然と飯を食い続ける。「はらぺこで死にたくない」。リアルである。     

喜劇である。兵士達の戦争ではなく、戦時中の人間の営みを描くことで「戦争」そのものを逆照射する。人間の営みだからこそ喜劇である。それは、地下「アンダーグラウンド」でさらに凝縮される。    

その後、戦争は終結するが「アンダーグラウンド」の人々には知らされず、彼らの戦争は続いたまま。ここでも、外界の平穏と地下の戦争が対比され「戦争」が笑い飛ばされていく。     
そして、20年後。「アンダーグラウンド」から這い出た人々が観たものは、また「戦争」である。彼らは気づいていない。落語のような話である。そして、言う「地下に戻りたい」。悲しいが喜劇である。     

劇中、「舞台劇」「映画」が登場するが、監督はこの映画自体も「アンダーグラウンド」という映画の中の「舞台劇」「映画」のように作りあげたのではないか。観る者に「戦争の愚かさ」を伝えるために。その証拠に、楽団が始終「映画音楽」を演奏しているではないか。     

オールスターキャストのエンディングといい、何かあの後幕が下りて会場が明るくなったところで「アンダーグラウンド」が終わり、フタッフロールが流れるのではないかと錯覚を起こしてしまいそうであった。    

「ビフォア・ザ・レイン」 

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