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●180
こどもの日(2001/05/06)

私は子供が嫌いだ。

子供は幼稚で礼儀知らずで気分屋で前向きな姿勢と、無いものねだり、心変わりと出来心で生きている。甘やかすとつけあがり、放ったらかすと悪のりする。定 職もなくブラブラしやがって、子供は常に私達おとなの足を引っぱるだけです。そのうえ身勝ってで“足が臭い”。

などと、伊武雅刀氏の古い名曲からの引用で冒頭から力が入ってしまったが、5月5日は言わずと知れた「こどもの日」だった。

何が「子供の日」だ。自由気ままな奴等にとって、1年365日毎日everydayこどもの日と変わりないではないか。

ちょっと響きがアダルトであるが、「おとなの日」があっても良いでないか。

確かに「勤労感謝の日」や「父の日」「母の日」「敬老の日」など、該当者が大人である日もあるにはある。しかし、身勝手な奴等にとっては、ただの「お休 み」であり、結局のところ子供達が主導権を握ってしまっているのが実状ではないだろうか。

そもそも、この日は「端午の節句」であり「こども日」なんかではない。五節句のひとつであるのは間違いないが、これもこじ付けがましい。

端午の「午」は5月を指す。午と五の音が似てるから、午と五で5月5日。古来中国、この日に邪気を払うため菖蒲を軒に挿した。いつしか「菖蒲」と音が似て る「尚武」を連想させるって言うんで、その願いをこめて男の子を祝う日となった。「こどもの日」になったのはGHQの影響か第二次大戦後であるらしい。

全く、風が吹けば桶屋が儲かる方式的な由来ではないか。

そんな、連休も終盤のこの日。早朝、なぜか枕元に近所のこども立っていて「早く起きて、あそぼう」なんて抜かしやがり、ちょっと相手してやると、つけあが り、兄弟友達呼んで来て、あっという間に5〜6人。年齢構成は4〜8才か。私は保母さんじゃぁなぁい。

昼飯には一旦帰ったものの、再度の襲来。たっぷり17:00まで遊んで頂きました。

「また来るね」って、もう来るな。

なんて礼儀知らずで身勝ってな奴等だ。

これだから、私は子供が嫌いだ。

本当に足臭いし。
●179
経済(2001/05/01)

世の中は、今、デフレだそうだ。

簡単に言うと「物価が下落し続ける現象」のことらしい。学校で習った。

しかし、何を大騒ぎしているのだろうか。「物価が下がる」イイことではないのか。

デフレの構図はこうだ。「モノが売れない」→「値段を下げる」→「一時的に売れる」→「他社もマネして下げる」→「売れなくなる」→「さらに下げる」→ 「モノを作っている人の給料が上がらない」→「モノが買えない」。と言う訳でまた振り出しにもどり、スパイラル方式で悪化の一途を辿るらしいのだ。

しかし、この図式には間違いがあると思う。「給料が上がらない」が、その分物価が下がっている。これは言い換えれば「給料の価値が上がってる」。つまりは 実質的に増えていることになるのではないか。

今までの給料と同じでハンバーガーが倍買えるのだ。

ユニクロの1,980円のパンツを履き、昼飯に吉野屋の250円牛丼を食い、おやつにマクドナルドで65円のハンバーガーを、そして夜食にローソンの80 円おにぎりを食う。

何が悪いのだ。まるっきり得しているではないか。

普段からこんな低レベルな生活をしている私には何の問題もない。

バブルで何を得したって言うんだ。言ってみろ。

言えた奴等は、今回損してるハズ。ざまぁ見やがれ。

私の図式に間違いは無い。と思う。無いかも知れない。かも知れない。無いとイイ。無いであってほしい。

ちょっと弱気。
●178
キャンペーン(2001/04/27)

キャンペーンと言えば、庶民的には何やら得するイメージがある。

「今ならキャンペーンにつき入会金無料」や「キャンペーン実施期間中はプレゼント付き」などを思い起こす。

企業の単なる需要拡大宣伝活動に躍らされているだけなのだが、本当に必要なものを購入する際に、たまたまキャンペーン期間に当たったら、やはり得した気分 になるものだ。

こんなラッキーなキャンペーンなら大歓迎であるが、そうでないものもある。

例えば「交通安全月間」。聞こえは良いが、警察による組織的なこの活動はやはりキャンペーンである。言わば「交通違反取締りキャンペーン」。

こんな期間中は、僅かな一旦停止違反だけでも、これ見よがしにお灸を据えられ、キップを切られてしまう。全く運が悪いと言うか不幸である。

アンラッキーと言えば、中国の「キャンペーン」は筋金入りである。

最近始まった「犯罪取り締まりキャンペーン」は強烈である。中国メディアの報道内容はこうだ。

「先週、暴力や組織犯罪の増加に対する新たな取り締まりキャンペーンの開始を記念して、1日の間に113人の処刑を行った。」

113人。すごい数である。キャンペーンなので普段より余計に処刑したらしい。染乃助・染太郎みたいである。また、このキャンペーンの開始を「記念」して しまったあたりが、かなりエグイ。もはや、異次元的でさえある。

我が国における被処刑者数は、ここ10年間で40人たらず。このキャンペーンがいつまで展開されるのか定かではないが、仮に1ケ月の限定であったとして も、3,000人。3ケ月なら私の出身地の田舎町が消滅してしまう。恐ろしい。

こんな類のものは「見せしめ」と言った方が正確である。

まさか「今なら罪状無料サービス。最大、極刑プレゼント」ではあるまいが、

こんなキャンペーンには当たりたくはない。
●177
英雄誕生(2001/04/23)

その物語は、突如として建設された「20世紀博」と銘打った万博会場から始まる。

言わば、20世紀を懐かしむ博覧会である。ただのイベントであったハズのこの博覧会に、全国のオトナ達全員が陶酔し現実から逃避してしまう。やがて子供化 したオトナ達は、全てを放棄して郷愁の世界に自ら囚われの身となる。

親からモノのように捨てられた本当の子供達は、生きるために店を襲い略奪を始める。ストリートチルドレン同士の抗争が激化する中、ついに「子供狩り」が開 始される。

次々に囚われる子供達。彼らは何者かによって、オトナ達と同様に20世紀人間として洗脳されようとしている。

それは、21世紀となった現在から全てを奪い、20世紀の中に閉じ込め、時を停止させ未来を葬ろうとする陰謀に他ならなかった。

そんな中、立ち上がった子供達がいた。数万対5人。勝ち目はない。バスを乗っ取った彼らは、追っ手を振り切り捨て身の最後の賭けに出た。組織本部への突 入。そこで彼らが見た物は。dead or alive。果たして彼らは組織の陰謀を阻止できるのか・・・・。

壮大なスケールと独創的なアイデア。史上空前のカーアクション。現代社会の病巣を鋭く抉る問題作。腐った世界に風穴を開けるヒーローの誕生である。

その名は、

のはらしんのすけ(5さい)。

劇場用新作「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツオトナ帝国の逆襲」。大傑作である。

お子様映画と侮るなかれ。これはまさに、後頭部を鈍器で殴られたことはないが、殴られたような衝撃。強盗事件の報道的に表現すれば「バールの様な物」でこ じ開けられたようなインパクトがあった。こじ開ける器具は必ず「バールの様な物」と相場は決まってはいるが、それが何なのか、いつも今一つハッキリしない が、そんなことはどうでも良いくらい「おもしろい」のである。仕舞いには、不覚にも泣いてしまった。

何年ぶりだろうか。心底映画を楽しんだのは。

個人的には、間違いなく今年の邦画ベスト5に入るだろう。邦画を年間5本も観ない私が言うのだから間違いない。

騙されたと思って一度ご覧あれ。

だからと言って、見た後で騙されたと思っても、何も出ないが。

●176
議事録(2000/12/01)

二日連続の会議の後、議事録を作っていた。

もう頭がオカシクなる。

業務連絡のような堅苦しい文章を書くのではないので、幾分楽ではあるが初日と二日目の内容がこんがらがり、やはり頭がイタイ。

頭が痛いのにはもう一つ理由がある。

私自身の議事メモだ。あまりにも読めない。始めはそれなりに書いているが、終盤に近づくと、もうそれは記号。文字ともつかない象形記号を丸
印や→で縦横無尽に装飾している。

要するに解読に頭を使うのだ。録音もしているが、つまらない会議に2回、計4回出席するようで聞きたくない。聞いても頭出しや巻き戻しの作
業が面倒だ。それに、肝心の部分が隣の他の人間の咳払いなんかで聞き取れなかったり、余計イライラするだけだ。

よって、幾何学的メモと薄れて行く記憶をたよりに書くハメになる。

人によっては、一言一句、一挙手一投足に渡って書く人もいる。それはそれで、小説読んでいるみたいで面白い。でも本来の議事録は違うハズだ。議事の主要事 項・討議の状況を、簡潔にそして正確に記録することだ。

だからと言って私の議事録がそうであるかと言えば、そうではない。まるっきり逆。

何しろ、象形記号から現した日本語単語と単語を無理矢理繋ぎあわせて作成するのだから。矢印の指す意味なんか忘れてしまっている。欠落した部分を埋める。 まるでDNA復元作業のようだ。ゲノムなのだ。

しかし、不思議なことに私の議事録は評判が良い。訂正なんて殆ど無い。だから仕上がりも早い。なぜか。実は欠落した部分を高尚な言回しで補っているのだ。 みんな美化されて悪い気はしない。言わば文字遊び。コラムといっしょ。自分の気持ち良いリズムででっち上げるのである。

コラムを書くことがこんな事で活かされている。

でも、議事録にオチはない。付けてはいけないのだ。

当たり前だ。
●175
少年法(2000/11/29)

改正少年法が28日、成立した。

批判を恐れずに言えば,賛成である。

旧法は1949年に少年の健全育成を目的施行され,もう既に50年を経過しようとしている。この法は,まだ戦争の傷痕を残す時分のもので,貧しさのあまり 犯罪を犯してしまう少年を保護するためのものであった。もはや化石化した法律に近い。

時代は変わる。少年による犯罪の検挙率はこの法の施行以降着実に減少している。しかし,凶悪化,いや凶悪化と言うより,その動機に変化があり,当時の発想 を遥かに超えて,もはや理解し難くなってしまっている所が問題なのである。

特にこの数年は検挙率も増え,さらにはメディアの発展も手伝って,よりその残虐性が取出され問題が表面化している現状にある。

「なぜ,人を殺してはいけないのか?」そう問う若者が増えている。恐ろしい事だ。「意味もなく殺されたくない」と思うのが普通の人間だ。だからこそ「殺し てはいけない」のだ。その答えは皆がもっているハズなのに,問うてしまっている。それすらも分からなくなっている。

「殺されてもいい」と思っているのだろうか。もし,そうだとしら法なんて何の意味もなさない。そんな人間は法があろうとなかろうと,罪を犯してしまうの だ。

そもそも,法はなんの為にあるのか。確かに犯罪を抑制する目的もある。しかし,防止はできないし期待してはイケナイ。最大の目的は「戒め」であるハズであ る。

人は原罪を背負って生まれてくる。と言うスタンスに立てば,その効力も理解ができる。聖人君子には法はいらないのである。

ネガティブな考えかもしれないが,「人は何の為に生きているか」それは「死なないために生きている」のであって,その人生最大(最小)の目的を阻害する輩 は喩えそれが少年であろうと「戒め」なければならない。もっと,極端に言えば年齢には関係ないのである。

冒頭で賛成と書いたが,少年法自体解体して成人と同じ法を適用すべきなのかもしれないとも思う。ただ,無闇に罰してはいけいない。成人のそれがそうである ように,そこには裁判があり,刑量の相場は確かに存在し,情状酌量までかなりの幅もある。その中で被疑者が少年であることを問えばいい話である。

言いたい放題書いたが,単に浅墓なオヤジの戯言だと思われても構わない。

ただ,残業帰りの道すがらバカな小僧に意味も無く狩られたくない。そう思ってのことである

●174
読書の秋(2000/10/04)

滅多に本を読まない。

ところが,どういう風の吹き回しか本を買って読んでいる。自発的に読もうと思ったのは何年ぶりだろうか。思えてもいない。

しかも今回は歴史小説である。司馬遼太郎。「歳月」である。幕末に活躍した志士達の話だ。

なぜまたシバリョウなのか。私の苦手とするジャンルに翻訳物があるが,歴史小説なんてのは眼中にもなかったのに。

翻訳物は登場人物が外人だ。外人さんの名前は読みづらいし覚えられない。途中まで読んでると誰が誰やら分からなくなってしまって,最初の方に戻るか,人物 紹介を読み直す必要があり私の脳神経ネットワークはスパークしてしまう。

歴史物も似たようなところがあるが,それ以前に幕末とか大政奉還とか明治維新とか聞いただけで,あの奇妙な語呂合わせのトラウマと言うべき数字の羅列が頭 の中をよぎり,めまいがしそうになってしまって受け付けない。吐きそうだ。

どうやら酔った席での話の中にシバリョウが出てきたようだが,どうもそいつが頭にあったらしい。サブリミナル効果というやつか。無性に読みたくなって,つ いには二日酔いのまま書店に飛び込んでいたのだ。

なんてことはない,飲んだ勢いで買っただけのことであるが,今のところ拒絶反応はない。そればかりか,かなり面白かったりする。こんな小説が学校の歴史の 時間に使われていたら,是ほどまでに深いトラウマを負うこともなかっただろうに。

とは言え,まだ700頁中の100頁。序盤の序盤である。いつまで耐えられるのか。

今はただ,買う前に十分吐いたことが功を奏しているだけなのかも知れない。それともまだ二日酔いが続いているのだろうか。

清々しい秋。読書の秋である。

●173
業務連絡(2000/09/29)

実は文章を書くのは苦手だ。

では,なぜこんなコラムを書いているのか。理由は簡単,喋る方がもっと苦手だからである。

会議などで自分の意見を言ったり,討論したりすると自分が何喋っているのか分からなくなる。十分考えていたつもりでも,喋るとおかしな具合になり,途中か らどうでも良くなってしまって身が入らない。

10の考えを5でも伝えられたら良い方。でも,10喋ってて内容が2程度しかないお偉いさんの話より,幾分はマシだろう思ったりする。

喋るより書く。なんて大口を叩いてしまったが,本当に10のことを伝えきれているのか。これまたダメである。

自由に,何の制約もなく,誰からも干渉されないで書くのはイイ。

これが,社内の連絡文書であったりすると全くもって無力になる。文書規定なんてのがあって,堅苦しいからイケナイ。まず文書件名を書き次に要旨に入るのだ が,出だしの「標記について」と書いた後の文章がスラスラとは出てこない。僅か数行の文章にも頭を抱えっぱなしになることもしばしば。

苦心して書き上げたにも関わらず,文書の伝達を受けた下部組織からの電話が鳴る。無論,問い合わせである。

「どういう意味だ」。「分かり辛い」の問いに,苦し紛れに「行間を読んで下さい」なんて言い訳をしてみるが,本来指示伝達に「行間」も「ニュアンス」も, ましてや「オチ」も必要ない。必要なのは具体的で明確な指示だけである。

そんな味気なく堅苦しい文章を書くのは,やはり苦手だ。

一度で良いから「今回のオチ最高でした」なんて言われてみたい。

業務連絡文書で和める会社。素晴らしいではないか。

そう思っているのは私だけだろうな。絶対。

●172
お手紙(2000/09/27)

ふとしたことで,20数年前の手紙が出てきた。

色褪せた広告の裏に書かれた内容からすると,どうも幼稚園の時の同級生からのようだ。

文面はこうだ。

「おろくんへ/すんすんね/おもしろいとよ/だってね/おるがんをびよーんぶよーんってしたのよね/やっぱりおもしろいでしょ/それからはるちゃんもおも しろかったよ/だってね/おとうさんのひげそりのね/みどりのでんきを/ぴいぴいよよーんとしたの/はるなより」

意味不明。「はるなより」ってことからすると,はるなちゃんからの手紙なんだろう。確かに,はるなちゃんは幼なじみあることも間違いない。

しかし,ひらがなを覚えたての4〜5際の子が書いた文字。読みにくいったらない。ここに書いた文面は,苦心のすえ解読し,センテンスに/を入れて読みやす くしたものだ。はるなちゃんの自筆の文面は句読点も無く,ひらがながひたすら続いていてまるで,暗号のようである。

そんな拙い文章でも,心に残るのは子供の持つ純真さが手に取るように伝わるからなのだろう。

文字の大きさも均一でないし,特に「びよーんぶよーん」や「ぴいぴいよーん」などの擬音は取り分け大きく力強く書いてある。いかに彼女が面白かったか,い かにそれを私に伝えたかったのか,その思いがいじらしいばかりである。

なんだか童謡か絵本の中の一節を読んだ時のように,穏やかは気持ちになる。

きっと,そう言った絵本作家の人達は大人になった現在においても,子供のピュアな感性を無くしていないなんだろうなと改めて思う。

大抵の人間は大人になるにつれ,その感性を無くしてしまう。そうで無ければ大人になりにくい世の中なのかも知れない。

感じた事を感じたままに素直に表現する。20数年を経て私の心の奥底にやさしく問い掛けるこの手紙。

はるなちゃんは今どうしているのやら。

●171
ひるめし (2000/09/21)

うちの課長は昼飯の後,いつもこう呟く。

本日の楽しみ終わり」。確かにそうだ。日がな一日椅子に座り,黙々と仕事する。家に帰れば家族が面倒だ。昼休みにゆっくり飯を食う。一番落ち着 く時間なのかもしれない。

私の昼飯はいつもビジネス弁当だ。値段も安くて日替わりなのが良い。でも,なんと言っても「外に食べに行く時間」を必要としないのが気に入っている。

毎朝,会社に着くと椅子に座る前にコーヒーを入れる。そして,弁当の注文にサインをする。機械のように繰り返す作業だが,時には注文を忘れてしまうことも ある。

注文し忘れているのにも関わらず弁当を食ってしまい,それが上長の分であったりすると非常に調子が悪い。相手は「別にいいよ」と言ってくれるものの,逆に 自分の分を食べられた時の事を思い出すと心中穏やかではない。

この苦い経験から,今では弁当を取るまえには注文書の確認をすることにしている。「注文ヨシ」。指差呼称である。今日も危うく「弁当どろぼう」になるとこ ろだったが,この指差呼称で難を逃れたのだった。

そんな訳で,今日は外食。近所にある人気の中華料理屋。ひとつだけ空いていたカウンター席に座る。目の前の厨房では中国人料理人が忙しげに鍋を奮ってい る。飛び交う中国語も手伝って余計に忙しそうな雰囲気がする。

ピークに混んでいるためか注文の定食がなかなか出てこない。隣の席のオジサンは見るからに苛付いている。そんな中,遅く頼んだ私の定食が先に運ばれてきた ものだから,彼の怒りは頂点に達してしまったらしく,ついに厨房に向かって怒鳴ってしまった。

「ナゼマダデキナイ。ギョウザ。マッテルヨ」。なぜか中国語調。彼の狼狽ぶりが見事に表現されていた。

その後,隣の席に餃子定食が来るまでの間,殺気にも似た彼のオーラに包まれながら食事するハメになった。

「本日の楽しみ」を奪ったオヤジの罪は計り知れない。


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